【猫ブリーダーの雑記】ゆとり教育と動物の訓練、意外な共通点とその背景

こんにちは。お久しぶりの更新です。

「お前のつまらないブログなんて誰も読まない」

と手厳しいご意見をいただき、しばらく筆を置いていましたが、やはりもう少し続けてみようと思い立ちました。

皆さんは「ゆとり教育」と「動物の訓練」に、どんなイメージをお持ちでしょうか。
一見まったく異なる領域に見えるこの二つですが、実は驚くほど近い時期に大きな転換点を迎えています。

罰からご褒美へ──教育と訓練のパラダイムシフト

それぞれの分野で起きた変化を見てみましょう。

●動物の訓練
かつては、望ましくない行動を抑えるために「罰(弱化子)」を用いる方法が主流でした。
チェーンで首を引いたり、大声で叱ったりするなど、強制的な手法です。
しかし1980年代後半〜1990年代にかけて、罰が動物にストレスや恐怖を与え、攻撃性を高める可能性があることが行動科学の研究で明らかになりました。

そこで主流となったのが、望ましい行動に「ご褒美(強化子)」を与える「正の強化」です。
クリッカーと呼ばれる音の鳴る器具を用いたトレーニングなどにより、動物が自ら考え行動を選択し、学習意欲を高める効果が認識され始めました。

動物福祉(アニマルウェルフェア)の観点からも、この変化は強く支持されました。

●ゆとり教育
1980年代後半に議論が始まり、90年代後半から2000年代初頭に本格導入されたゆとり教育。

知識量や偏差値に偏重した従来の「詰め込み教育」への批判を背景に、ゆとり教育は「子どもたちが自ら考え、学び、生きる力を育む」ことを重視しました。 授業時間の削減、体験学習の導入、総合的な学習の時間の新設などがその具体策です。

単なる暗記ではなく、子どもの興味や主体性を引き出し、努力を認めて意欲を育む。この点に、動物訓練における「正の強化」との共通項が見いだせます。

同時期に起きた変化は偶然か

この二つの変化は、ほぼ同時期に進行しました。偶然でしょうか?
私は、社会全体の価値観の変化という大きな潮流の中で生じた必然だと考えています。

それぞれの目的は、以下のように変化しました。

  • 動物訓練:従わせる → 心身の健康を尊重し、自発的な学習を促す
  • 教育:知識詰め込み → 個性や主体性を尊重し、学ぶ喜びを育む

両分野とも、罰や強制による外的コントロールではなく、内発的な成長を促す、より本質的で持続可能なアプローチへと移行したのです。

これは、社会の重視する価値観が「効率性・画一性」から「個の尊重・多様性・主体性」、ひいては「QoL(生活の質)・幸福感」へとシフトしていった流れと無縁ではないでしょう。

「強化子」重視の光と影

ご褒美を重視する方法は、学習意欲を高め、良好な関係を築くうえで大きな成果を上げました。
しかし、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しです。

動物訓練では、ご褒美がなければ行動できなくなる「ご褒美依存」や、状況によっては適切な罰が必要になるケースもあります。
ゆとり教育もまた、学力低下への懸念から批判を受けました。主体性を重んじるあまり、基礎学力の定着が疎かになったと指摘されたのです。

どちらのケースも、理想を追求する過程で、運用のバランスという課題が浮き彫りになったと言えます。
パラダイムシフトの過程で生じたこれらの課題は、より良いものを築くための「模索の産物」だったのでしょう。

まとめ

私は、ゆとり教育を「方針は正しかったが、運用(さじ加減)を誤り失敗した」と捉えています。 極端なゼロか百かではなく、適切なさじ加減があれば「世紀の愚策」とまで批判されることもなかったかもしれません。

今でも象徴に残っているのが「ゆとり教育では円周率を3と教えるケースがあった」という話です。
3で計算すれば、それは円ではなくほぼ六角形です。3.141592…と桁数を増やすほど、真円に近づきます。

教育に時間をかければかけるほど、円周率の桁が増えて行くように、人も動物も丸く育つのでしょう。
しかしながら、社会に出るまでの時間は限られています。あまり悠長に構えてはいられないのです。
わずかな助走期間の中で、我が子(人も動物も)をどれだけ「真円」に近づけられるか――
親として、ブリーダーとして、私の模索は続きます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。