言葉を超えたコミュニケーションの先に

皆さんこんばんは、キャットハウスたんたんです。 すっかり日差しも暖かくなり、猫たちも窓辺でひなたぼっこを楽しむ季節になりました。

ブリーダーとして猫たちと向き合うようになったのは中年と呼ばれる年齢になってからでしたが、日々新しい発見と、そして時折「これは…!」と膝を打つような気づきがあります。

今日は、私が常々感じている「猫の飼育は、人間の子育てそのものだ」ということについて、少しお話しさせてください。

命を預かる責任と、育児経験が生きた瞬間

小さな命を預かり、その成長を見守り、健康に気を配り、社会性を身につけさせる…これは本当に子育てとそっくりだと思います。

猫と人間の子供は違います。しかし、ごはんを食べさせる、体調が悪くないか常に気を配る、危ないことをしないように教える(しつけ)、そして何よりたくさんの愛情を注ぐ。その本質は、驚くほど似ていると感じます。

正直なところ、もし私が先に子育てを経験をしていなかったら、ブリーダーという仕事は務まらなかったと思います。夜泣きならぬ夜鳴きに付き合ったり、ちょっとした変化を見逃さずに動物病院へ駆け込んだり、根気強くトイレのしつけをしたり…。
子育てで培った忍耐力や観察力、そして「まあ、こういうこともあるよね」と受け流す力が、今の私を支えてくれているのは間違いありません。

言葉が通じない難しさ

でも、子育てと決定的に違う、そして難しいと感じる点があります。
それは、猫とは言葉でコミュニケーションが取れないということです。

人間の子供も、特に小さい頃は言葉でうまく気持ちを伝えられず、親も

「どうしてほしいの?」
「何が嫌なの?」

と頭を悩ませることがたくさんあります。それでも、成長すれば言葉で意思疎通ができるようになります。

しかし、猫は一生、言葉を話しません。
だから私たちは、鳴き声のトーン、しっぽの動き、耳の角度、瞳孔の開き具合、喉を鳴らす音…あらゆるサインを注意深く観察し、この子は何を伝えようとしているんだろうと必死に読み解こうとします

それは本当に根気のいる作業で、時には「全然わからない!」と途方に暮れることもあります。自分の子供相手に苦労した昔を思い出すこともしばしばです。

心が通じた瞬間の喜び

ある日、やんちゃ盛りの子猫のいたずらに、つい強い口調で叱ってしまったことがありました。
大きな声に、子猫はビクッと体をこわばらせ、シュン…としょげて部屋の隅に行ってしまいました。その小さな背中を見ているうちに、私の心は急速に後悔の念に襲われました。

「あんなに強く言う必要、なかったんじゃないか」
「まだ小さいのに、怖がらせてしまった」
「もしかしたら嫌いになっちゃったかな…」

自己嫌悪で胸が痛みました。なんだか申し訳なくて、その日はずっと気分が晴れませんでした。

その夜、 その子のことを考えながら重い気持ちで布団に入りしばらくした時です。
もぞもぞ…と布団が小さく揺れ、あの子猫が、そっと私の腕の中にもぐりこんできたのです。そして、私の胸に顔をうずめるようにして、ゴロゴロゴロ…と喉を鳴らし始めました

驚きと、安堵と、そして込み上げてくる愛しさで、胸がいっぱいになりました。私が叱ったこと、怖がらせてしまったこと、全部わかった上で、それでもこうして甘えに来てくれた。
私はそっとその柔らかな体を撫でながら「ごめんね」とつぶやきました。
すると、まるで私の言葉がわかったかのように、ニャーと、小さく、でもはっきりと応えてくれたのです。

たまらなく愛おしくて、涙がこぼれました。言葉なんてなくても、いや、言葉がないからこそ、こんなにも深く心が通じ合える瞬間があるんだ、と。

未熟な私を、こうして小さな体で受け止め、許してくれる子猫たち。ブリーダーとして、一人の人間として、まだまだ学ぶべきことはたくさんあります。
これからも、言葉を超えたコミュニケーションを大切に、一頭一頭と真摯に向き合っていきたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。